2011.07.30

7月30日石巻川開き祭りにあわせて行われた
ISHINOMAKI2.0主催のシンポジウムに
スピーカーとして参加してきました。

そのなかで改めて間仕切りプロジェクトの説明や
現状をお話し、いくつかの要望を改めて
ピックアップすることができました。

ハエの大量発生に悩む石巻では
間仕切りが蚊帳代わりにもなり
効果絶大の可能性ありです。

31日には安東陽子がお祭りの出店として
地元の人が開設した射的場に生地をいれました。

射的コルクを効率よく回収できる便利な生地の
応用を行い大変喜ばれました。

岡安

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2011.06.16

会津若松の避難所を訪問した。東北芸術工芸大学の渡部先生が市の避難所の担当の方と予てよりやり取りをされていて、このたび、間仕切りを設置することとなった。
避難所のスペースを2家族で共用するために、通路部分を中央にもうけて、それぞれのプライベート空間を確保するようにした。

間仕切りをすることは「仕切り」を作ることではあるが、そのことで2つの家族の「つながり」を作るという意味があると思う。

(安東陽子)

2011.05.04

今回は2日から4日の3日間の短期間だったが、早稲田の古谷誠章先生が主宰する田野畑復興支援プロジェクトに藤江和子さんのご紹介により参加させていただいた。ゼミの大学院生4名も同行し、ちょっとしたグループ構成となった。

避難所では、古谷先生と藤江さんは学生たちにてきぱきと指示を出して、その場でどんどん段ボールのちゃぶ台を組み立てる。被災者の人たちからはリクエストが途絶えず、休む間もない。

一段落して、間仕切りの囲いに取りかかり、私はその入り口部分にカーテンを取り付けた。

用途によって試着室などはカラフルな生地を使った。

一本のレールに厚手の生地と薄いオーガンーを並べてかけ、自由に使い分けられるようにした。

今回のポイントは、古谷先生のプロジェクトに同行するにあたり、間仕切りプロジェクトを通じて多少なりともこちらにも経験があったことで連動がスムーズだったこと、そして、間仕切りそのものが組み合わせる相手に応じて自由に変化できることがわかったところにある。また、現地の「目隠し」へのニーズに対して、「間仕切り」は単に区切るということではなく空間をつなげる役目があることを実感できた。更衣室などの遮蔽性が要求される場所での使用だけでなく、透過性のあるテキスタイルを通して伝わる向こう側の息づかいがかえって人を安心させる効果があるということを被災者の人たちにもわかって頂けたことが嬉しかった。

実際に間仕切りを設置した数は少量だったが、相手のリクエストに応えつつ、さらに新たな提案をするというコミュニケーションの仕方はこの間仕切りプロジェクトで大事にしたい姿勢の一つだ。

なお、村長さんを初めとする現地の行政側スタッフとの打ち合わせにおいて、古谷先生のゼミがこれまで大事にしてきた田野畑村との関係が大前提となっていたことは明らかで、その場に同席させて頂けたことに深い感謝の念を覚えた。
(安東陽子)

2011.05.02

コンフォルト、新建築六月号に
間仕切りプロジェクトを取り上げていただきました。
ありがとうございます。

また、遅ればせながら支援金受付口座を開設致しました。
引続きみなさまの支援をよろしくお願いします。

2011.04.28

4月10日に続いて23日に石巻を再訪。前回は間仕切りプ

ロジェクトに触発されて同行、いくつかの避難所から様々な事情を

伺うことができたので、今回は間仕切りから派生した手芸や枕プロ

ジェクトを現地の方々に提案した。

間仕切りの布は柔らかく透けるオーガンジー。それに触れることで

被災者の方が気持ちをすこしでも静められるのでは、という思いか

ら枕の提供を思い立ち、さらには被災者の方がご自身の手で何かを

つくる機会を届けたいと、ものづくりの会を立ち上げようと考え

た。すでに編み物のワークショップを開催しているアートライター

の坂口千秋さんとアートコーディネーター福田幹さんとも震災後、

編み物ワークショップを避難所で開催できないか、と相談していた

こともあり、今回は福田さんも同行した。

まずは石巻の港が一望できる日和山公園に行ったが、復興の兆しが

見えない惨状と満開の桜でやるせない気持ちになる。ただ、商店街

に降りると主要な道路は片付けがすすみ、乗り上げていた船も撤去

されてはいた。長期戦であることだけは確か。

その後前回訪問した避難所に手芸やまくら作りの提案をし、5月4-6

日のワークショップ開催の感触を探った。避難所である体育館の照

明が暗いとか、昼間は外で活動するので人が集まらないかも、とい

う懸念もあったが、概ね好評だったのでワークショップ開催を決め

た。そして前回間仕切りを設置した避難所を訪れたところ、プライ

ベートとパブリックを半透過の布で仕切るこの間仕切りが大変有効

であることを感謝された。やはりオーガンジー2枚重の提案は

功を奏したようだ。他の避難所へも推薦してくれるとのことで、ま

だまだ可能性はありそう。

午後3時過ぎから石巻市内の、より小規模な避難所を訪ねるこ

とになり、旧北上川に沿って北上。最初は被害がないように見えた

山間部も相当被災していることが判明し愕然とした。山間部と思っ

た場所は、実は海沿いであるというリヤス式海岸の入り組んだ海岸

線に沿って、被害は延々と続いていた。石巻港と状況は違い、自衛

隊の方が多数活動をされていて、避難所はまだまだ整っていない様

子。ここには間仕切りが必要で手芸はそのあと、と体感。しかし避

難所で聞くと物資は足りているという。本当は何もかも足りていな

いはずなのに。東北の方々の我慢強さをまた感じた。

被災地の格差を知り、いろいろな段階での提案の可能性を感じるこ

とができた。今後間仕切りと、間仕切りから派生した手づくりまく

らの会/手づくり手芸の会(=間仕切り+(プラス)プロジェク

ト)で、現地の様々な事情に可能な限り対応していきたい。

(西山裕子)

2011.04.20

2011.04.20

nosignerの面々が石巻市に資材を持っていってくれました。

残念ながら04.21からの学校再開による避難所の

再編が予定されており今月中の設置が難しいとのことでした。

「@iokayasu 石巻市の部長さんに概要説明しておいたので、

ニーズがある時に連絡がいくと思います。」とのこと。

思うようにお手伝いできないですが、まだまだ続けます。

2011.04.10

プロジェクトへの参加を快く引き受けてくれたナンジョウ事務所の西山裕子さんと建築家の光嶋裕介さんと安東の3人で前日夕方に仙台入り。ホテルは余震の影響で暖房もお湯もなかった。

今日はホテルを早朝出発して、石巻に向かう。救援物資の輸送車が多く、途中渋滞しながら到着は予定を1時間ほど遅れて10時過ぎ。まず、前日から石巻入りしていた芦沢啓治さんのチームに合流し、石巻高校の武道館へ。芦沢さんが以前リノベーションに関わった旅館の施主を通じて紹介して頂いた避難所の担当者にご挨拶。

目的は、武道館の内部で避難生活をする人たちのプライベート空間と外部の人が出入りする空間を仕切ることで、入り口に近い部分には透けない生地を、その他は半透明のオーガンジーを二重にして用いた。ワイヤーは互いに直角な向きに2本、スーパーロボットの細川さんたちによる巧みな施行技術で壁に固定した。全部で15枚ほどの生地を並べて、洗濯バサミでワイヤーに固定した。

避難所に生活する人たちはプライバシー確保のために透けない生地を想定していたが、半透明のオーガンジーを二重にして用いることを提案したところ、ある程度の透過性を保つことで閉塞感が軽減される点が評価され、採用された。作業の途中で、2枚のオーガンジーがつくるモワレをみた被災者の方から、「模様がきれい」という感想を直接いただけたことが嬉しかった。

午後は作業を終えて市内海岸部の被害状況がとくに著しい箇所を見て回った。テレビの画面ではわからない、時間が止まり音も聞こえず、土砂や壊れた建物、ひしゃげた自動車などに囲まれた独特の空気を肌に感じた。快晴の青空がかえってやるせない気持ちにさせる。

市内のほかの避難所を訪れ、間仕切りの必要性についてヒヤリングを行った。小学校の校長先生や、公民館や図書館のご担当者などからお話を伺ったが、避難所ごとに様々な事情があることがわかった。単に空間に間仕切りを固定するだけでなく、窓にカーテンを設置したり、必要に応じて臨時に仕切りを設置したりするアイディアを提案した。すぐに実現することばかりではないが、小さな可能性はたくさん感じることができ、活動を継続するためのヒントを得た。

暗くなり始めたころに現地を出発し、夜中の1時過ぎに都内に戻った。(安東陽子)